大原孫三郎

2018年1月3日

2007/02/18
070218_01.jpg日曜日の日経新聞にはTHE NIKKEI MAGAZINEという冊子がついてきます。今日の特集は「清富の実業家大原孫三郎の贈り物」でした。岡山県は倉敷市出身の僕としては、大原美術館の創設者として子どもの頃から名前を聞いていた身近な存在です。興味深く読みました。
大原孫三郎は実業家としてはクラレやクラボウ、中国銀行などの創業者です。かなりの財力があったことは大原美術館のコレクションを見れば分かります。太平洋戦争中に倉敷には一発の焼夷弾も落ちなかったのは、満州事変の事情聴取のために来日したリットン調査団のメンバーが大原美術館を訪れ、そのコレクションの素晴らしさレポートにしたからだという説もあるそうです。
今回の特集を読んでいて、初めて知ったこともあります。大原孫三郎が30年近く前に亡くなった祖父が入院していた倉敷中央病院の創立者だと言うことです。祖父はがんを患ってこの病院に1年ほど入院していたと記憶しているのですが、赤い瓦屋根のモダンな外観と入院患者のための温室の休憩室があったことが記憶に残っています。
なんでも米国の「ロックフェラー病院」やドイツ・ハンブルク近郊の「熱帯病院」という当時世界最先端の医療施設をモデルに、温室だけでなくエレベーターや汚水処理、暖房など当時の最新施設を導入した病院だったそうです。この病院建設の計画を立ち上げたとき「理想主義に走りすぎた放漫経営」と倉敷紡績(現.クラボウ)の株主たちは猛烈に反対したそうですが、「この病院が年々5万円ずつの損をしても、それは無駄に消えることはない。(中略)それは廻り廻って倉敷の経済に利益をもたらし、さらに倉紡に対しても増大してかえってくると思ふ」と突っぱねたそうです。
この他にも各種の研究施設の立ち上げや福祉活動家への支援など、ノブレス・オブリージュを地でいくような人生だったそうです。その反面、15歳で進学準備のため上京中に、当時の総理大臣の年俸の1.5倍もの借金をつくり強制送還されたり、妻をなくした後、愛人の芸者に入れあげたり、経営者としては不況時の賃下げ人員整理、いまでいうM&Aに積極的に取り組むなど多様な面を持っていたそうです。たしかに、そのくらいでなければあれだけの美術館や病院を残すことはできなかったでしょう。志のある経営者。改めてそのすごさを認識しました。
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