美術・教科としての存在理由

2018年1月3日

中学生の頃、家庭科の授業で「なんで男の子にも家庭科を習わせているの
だと思う?」という問いかけがあった。生徒からは「将来一人暮らしをす
るときに困らないため」といった意見が出たのだが、先生からは「家庭を
築いたときに、パートナーのことを理解してあげるためだよ」と諭された。
同じような経験が高校でもあった。高校で習う数学は、専門的すぎて日常
生活に活かせるとは思えなかった。その事を当時の担任に訴えると「数学
的(抽象的)考え方をする人間のことを理解するために、そう言うものが
存在することを知っていなければならない」と教えてくれた。
美術や音楽、書道といった芸術科目についても、同じ事が言えるのではな
いだろうか。皆がみんな表現者になる訳ではない。しかし、その領域から
物事を考え、行動をとる存在がある事を知るという事は大切な経験だろう。
それに、絵や音や文字は、相手に情報を伝えるメディアでもある。
人はみんな感情を持ち、それを他者に理解してほしいと望む。それが言葉
で不可能であれば、視覚や聴覚に訴えるしかない。どんな方法を使ってで
も伝えていくんだという意思。それを育む。この人間としての根源的なも
のを育むのは、他の教科では実現出来ないものだと思う。