美術・教科としての存在理由
中学生の頃、家庭科の授業で「なんで男の子にも家庭科を習わせているの
だと思う?」という問いかけがあった。生徒からは「将来一人暮らしをす
るときに困らないため」といった意見が出たのだが、先生からは「家庭を
築いたときに、パートナーのことを理解してあげるためだよ」と諭された。
同じような経験が高校でもあった。高校で習う数学は、専門的すぎて日常
生活に活かせるとは思えなかった。その事を当時の担任に訴えると「数学
的(抽象的)考え方をする人間のことを理解するために、そう言うものが
存在することを知っていなければならない」と教えてくれた。
美術や音楽、書道といった芸術科目についても、同じ事が言えるのではな
いだろうか。皆がみんな表現者になる訳ではない。しかし、その領域から
物事を考え、行動をとる存在がある事を知るという事は大切な経験だろう。
それに、絵や音や文字は、相手に情報を伝えるメディアでもある。
人はみんな感情を持ち、それを他者に理解してほしいと望む。それが言葉
で不可能であれば、視覚や聴覚に訴えるしかない。どんな方法を使ってで
も伝えていくんだという意思。それを育む。この人間としての根源的なも
のを育むのは、他の教科では実現出来ないものだと思う。
ディスカッション
コメント一覧
岩崎さん、投稿ありがとうございます。中学生くらいですと、やっぱり思いますよね、なぜ学ぶのかって。
他教科のことも述べながら芸術教科の価値をこうやって美術ということに関わる方が語るって大事なことだと思っています。そうですよね、他者に認められたい、理解してほしい、根源的なことですね。先日の美術の研究会でも、岩崎さんの主張にきわめて近い内容で教科として価値の話になったとき、「絵を通してわかってもらえる喜びは生きるうえでもおなじ」だということを確認したところです。ですからうれしかったです。
つながることが力を生み出す
ブログ「図画工作・美術教育の大切さを訴える」に千葉のカルチャー・美術予備校の経営者である岩崎秀太さんが投稿してくれました。
☆「美術・教科としての存在理由」(なにかをつくる)
それを、読んだ北海道の宗谷の土屋正治さんが私のブログにコメントを残してくれました。
「図画工作・美術教育の大切さを訴える」に投稿されていた、「美術・教科としての存在理由」のご意見は素晴らしいですね。心に、沁みるような言葉でした。この言葉は、自分でも使わせて頂こうと思います。いや、実に、いい言葉でした。今日が、とても良い日になったような気持ちがしました。」
「図画工作・美術教育の大切さを訴える…
山崎先生。コメントありがとうございます。おまけに先生のブログでも取りあげていただいて…。
自分自身、これまでに出会った本当に良い先生方のおかげで、こういった考えが出来るようになったのだと思います。
教育制度の方向性を決める立場にいる方々も「人間はそもそも複雑系」という視点に立って、多様な人の存在を積極的に認めるような方向性に舵を取ってもらえればと思います。