過疎

2018年1月3日

2006/01/02
僕は中学卒業後すぐに実家を出たため、故郷での人的つながりはさほど強
くない。しかし、幼なじみというものは懐かしい。僕たちは丙午の少人数
学年だったにもかかわらず、町内には男子4人、女子1人の同級生がいた。
小学校に上がる前からの遊び友だちだ。これは結構多い数だ。
しかし現在、僕も含めて地元に残っている者はいない。多くが岡山、広島、
大阪といった近郊の地方都市に居を構えている。聞けば、20数年前はそ
こそこの進学実績をあげていた地元の高校も、今では定員割れ。近隣の商
業高校と合併するもその傾向は止まらないらしい。
瀬戸大橋線の開通で、人の流れが変わった影響も大きいだろう。僕は美術
予備校という若者が居なければ成り立たない事業をやっている。しかも、
出生率が全国的にも最低レベルの松戸でだ。それでも、やっていけるのは、
僕の故郷のようなところからの転入者に支えられているからかもしれない。
「過疎」。この言葉がリアリティを持ってきた。地方の活力を吸いよせる
ことでかろうじて、都市住民の生活が成り立っているような気がしてきた。
墓参りの帰りに防災無線から聞こえてきた「昨晩から63才の男性が行方
不明になっています・・・」との放送に、切なくも象徴的なものを感じた。

日記

Posted by hideta