文化行政

2018年1月3日

日経新聞の文化面に「国立博物館・美術館 合理化に揺れる」という記事
があった。小泉政権の進める構造改革と行政の合理化の過程で、国立博物
館と文化財研究所を統合するということに関する記事だ。ちょうど松戸美
術協議会の会報で同じことを記事にしていただけに、気になった。
僕自身は「小さな政府」の信奉者なのだが、文化事業に関しては公的な支
援が不可欠だと思っている。記事中、高階秀爾氏の「フランスの美術館が
短期的評価だけで作品を集めていたら、今頃ゴッホもセザンヌも残ってい
ない」という発言が取りあげられていたが、まさにその通りだと思う。
また、記事中「国家戦略の観点」という項で「民族の歴史と誇りを伝える
ミュージアムはもともと政治的な性格を備えており、内政・外交に利用さ
れてきた」ともあった。短期的な不採算を理由に、文化事業を整理するこ
とは、かえって国際社会の中での立場を弱くするのではないだろうか?
文化事業は、言葉は悪いが「国家の見栄はり」とも言えるだろう。しかし
「金の切れ目は縁の切れ目」。見栄もはれなくなった人と誰が付き合うだ
ろうか?過剰な見栄はりは必要ないが、自国の経済規模に即した文化事業
は、いわば国際社会のノーブレスオブリージュだと僕は思う。