沈黙の春~レイチェル・カーソン

2018年1月3日

表題は1962年に出版された農薬汚染の実態を告発した作品です。当時、大々的に行われていた農薬散布が、結果として害虫駆除には効果的でなく、かえって環境汚染と生態系の破壊を招いていることを、地道な調査と莫大な資料をもとに訴えています。自分の育ってきた環境と重ね合わせて読んでいくうちに、どんどん引き込まれていきました。
僕が子どもの頃(1960年代後半~70年代)、生まれ育った瀬戸内では、松林が松食い虫によってどんどん姿を消していました。ヘリコプターから薬剤散布も行われていたのですが、全く効き目がなかったのを覚えています。これほど大掛かりなものでなくても、農薬散布は日常的に行われていて、作業中に中毒死する事件も多発していた記憶があります。当時は本当に大量の農薬を使っていたのでしょう。
頭の中では「農薬は危険だ」とわかっているつもりなのですが、心のどこかで「中毒になったら解毒剤を飲めばなんとかなるだろう」と安易な気持ちもありました。しかし、本書の「DDTをはじめとする薬品が、細胞の分子レベルでの活動を麻痺させることによって、生命の営みを破壊する」との記述に、背筋が凍りました。対処療法で何とかなるレベルではないのです。同時に連想ゲームのように、学生時代、新潮文庫の「母は枯れ葉剤を浴びた」(中村梧郎著・写真)を読んだときの衝撃を思い出しました。
ベトナム戦争のとき、アメリカがゲリラ掃討作戦でジャングルを枯らすために、ダイオキシンを含む枯れ葉剤を大量散布しました。その後、一帯では流産、死産が頻発し、生まれて来る子どもにも無脳症や2重体児などの奇形が激増したのでした。中村さんの写したホルマリン漬けの胎児の写真は、正直正視出来ませんでした。
考え方によっては、これと同じことが自分の頭の上で行われていたわけです。いや、恐ろしい。どうにか僕は現在まで生きて来れましたが、すでにかなりの量の薬物が体内に蓄積しているはずです。いつ中毒症状が出てもおかしくない。そう考えるのが真っ当でしょう。
環境問題に対する関心は、当時に比べかなり高まってきているとは思いますが、遺伝子組み換え食品や狂牛病など、自然に手を加えることへの畏れが欠如している気がします。次の世代にどんな世界を、地球を残してあげられるのか。ひとり一人が考えていかなければならないのだと感じました。
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