松本竣介展&美術にぶるっ!

2018年1月2日

2013/01/14

先週の水曜日、世田谷美術館に「松本竣介展」を、国立東京近代美術館に「美術にぶるっ!展」を観に行ってきました。両展覧会とも会期は今日までなので、公式webサイトは近々にURLが変更になると思うので、インターネットミュージアムのリンクを貼っておきます。

生誕100年 松本竣介展
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美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年
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松本竣介の回顧展は、確かまだ自分が学生の時代に一度開催されたと思います。そのときの印象は「繊細な画家」というものでした。今回の展覧会では、そのスタイルの変遷と時代状況をあわせて考えることができました。いやでも戦争の影が重なります。特にいったん都市と群像のダブルイメージというスタイルを確立していながら、古典主義的な自画像を描いたのが1941年と、福沢一郎が軍部によって検挙された年という事実関係に気づきました。

当時は美術雑誌の「みずゑ」に軍部の欲する「国家に奉仕する画家」についての対談が掲載されるなど、作家の自由意志の発動であるべき表現活動が極限まで制限されていた時代です。同じ「みずゑ」に俊介自身が投稿した反対論文や「自立する画家」というテーマにかけた思いを考えると、まぶたが熱くなりました。

美術にぶるっ!は近代美術館の収蔵作品によって、日本の近代美術を俯瞰できる、良い展覧会でした。この展覧会では、特に第2部の「実験場 1950s」に感銘を受けました。

松本竣介も参加していた「新人画会」のメンバーである鶴岡政男の代表作である「重い手」の隣に、竣介の死を悼んで描いた作品がありました。なんでも、竣介は最後の個展を開いた時、すでに自分で作品を搬入することができず、仲間がすべてやってくれたということです。そして、その会場を観ることなく亡くなったのだとか。「40歳になったら詩集をだすんだ」という言葉を残して、36歳で逝った仲間をどんな思いで見送ったのでしょうか。

実は電車での移動中<それでも、日本人は「戦争」を選んだ>加藤陽子著・朝日出版社を読んでいたこともあり、「戦争」という言葉に反応してしまったのかもしれません。でも、齢を重ねたことで、絵の読み解き方が変わってきたことを再認識した一日でした。

「新人画会」については、こちらのサイトを参照↓
20世紀検証シリーズNo.1「新人画会展」戦時下の画家たち 絵があるから生きている