自習の課題

2018年1月3日

アトリエ新松戸の昼間部学科授業履修者には、週に一日、自習の時間があります。僕がこの時の監督をつとめることが多いのですが、学生達に課題をやらせている間は、一緒になって問題を解いたり、仕事の続きやブログの原稿を書いたりしています。(この記事もそうです)
国語の課題は主に小論文です。毎回、担当の先生が選んだ文章を読んでから取り組む形になっているのですが、この文章がけっこう面白いのです。今日は、美術手帖の5月号に掲載されていた、多摩美の教授でもある中沢新一さんの「なぜ、いま脳が注目されているのか-時代は芸術の再編成を求めている」でした。
これによれば『「芸術」には西ヨーロッパでギリシャ時代、さらに厳密に定義するならば中世に発生した狭義のもの(いわゆるハイアートのことでしょう)と、旧石器時代の洞窟絵画に代表される広義のものがあり、狭義の芸術はすでに終わりを告げている。その行き詰まりを打破するためには、人類の表現活動を包摂するような広い意味での芸術をとらえ直す必要がある。』ということだそうです。これを前提に「脳、心、シャーマン」といったキーワードを使いながら、これからの時代に必要とされる「再編成された芸術」について語っています。
<芸術とは何かというと、心の本質を3次元の現実の世界に出現させる行為のことです。人類というものに発生した心、この心の目的性を、表現のメディアの中に注ぎ込み、そのことで現実の世界が変形していく。>という記述は、表現の現場に身をおくものとして、自分自身の行為の社会的・人類的意味について後ろ盾を得たようで(多少大げさですが)何とも心強く感じました。
また、<寺院などの中のみごとな障壁画と銭湯の富士山の絵との間に、はっきりした線引きをしない>という例を挙げ、<日本の美の伝統を考えると、聖と俗の区別も明快でなく、むしろ俗っぽいものの中に神聖なものを見つけようとする>ところがあり、狭義の芸術の行き詰まった現状とは、<そうした日本的な状況が世界的な状況になりつつある>とも書かれていました。この記事は今日初めて読んだのですが、掲載された4月は、ちょうど新象展に出品する作品をつくっていた頃。実は自分自身「日本的な分かりやすさ」を表現の軸にしようと決心した時だったので、不思議なシンクロニシティーです。
と、ここまで書いたところで学生達は全員原稿用紙を提出して帰っていきました。さて、彼らはどう感じ、何を考えたでしょうか。
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