美術予備校-東大
この記事の前に書いた『「絵を教える」という違和感』と『教えるって…』
の2つは、ウェブでたまたま見つけた「某美術予備校の教室の片隅で-迷
走する卵たち」と「つくられる個性:東京芸術大学と受験産業の美術教育」
という2つのサイトに触発されて書いたものだ。
これらはどちらも東大の学生が発表したもので、前者は美術予備校で行わ
れている教育について疑問を投げかけたコラムであり、後者は明治期から
現代に至る美術教育における美術予備校の果たしてきた役割について調査
し、なぜ戦後の美術史の中で無視されてきたのかについて言及した論文だ。
どちらも、美術予備校を生業とするものにとっては耳の痛い内容が含まれ
ている。たしかに、美術予備校には設置基準や教える上で必要な資格はな
にもない。学校法人もあれば私塾もある。玉石混合。よく言えば自由な教
育の場であり、逆に言えば誰もその教育の質と方向性を保証しない。
ただ、基礎的な技術力を下支えしてきた功績は認められていいと思う。欧
米に比べると日本の美大生のスキルの平均値はかなり高い。これは予備校
で反復して行うデッサンの賜物だ。我々も、アーティストのアイデンティ
ティ形成の重要な役割を担っているという自覚を持ってやっていきたい。
日本人アーティストのスキルについては、「鈴木友昌氏・講演会」でも取り上げました。
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