HUMANISATION

2018年1月1日

昨日、Twitterで流れてきた小沢剛さんのツイートが気になっていました。
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秘密保護法が通過した今日、僕は上野の都立美術館のHyumanisation展に行っていた。シリアスな現代の問題と向かい合っていた。その会場に行くためには、花や風景画などの団体展の展示を経由せねばならない。アーチストは自作で社会に己の生き様を示すのにそんな作品でいいのだろうか。

あの展覧会はそんな裏テーマをあの場で雄弁に語っている。いや、吠えているのだ。12/3までです。 明日、僕はそこでシンポジウムに参加する予定でしたが、自身のスケジュールミスで欠席となってしまいました。俺のバカー。
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東京都美術館は、僕の所属する新象展も発表の場所としている、六本木の国立新美術館と並んだ公募団体展の中心地です。
そこで開催中の「THE HUMANISATION “今日の世界はアートによって再現できるか”」を観てきました。

「展覧絵画」という作品。美術館の中に展示されている作品のイメージに、無造作に絵の具(ペンキ?)が塗り付けられていました。
THE HUMANISATION

モデルは福島の原発作業員だそうです。顔を黒く塗りつぶすのは、佐伯祐三の自画像や五木田智央さんの一連の作品を思い起こしますが、現在の日本の状況と重ね合わせると、観る側それぞれに違う心の動きが起こるのではと感じました。
THE HUMANISATION

「日展プロジェクト」を含む作品群。
THE HUMANISATION

リンク先にもあるように「日展の歴史は日本の美術において重要なものであると感じる一方、現在の日展とはどのようなものなのか?少なくともThe HUMANISATIONに出品するアーティストとは無縁に等しいのは事実」でしょう。その前提の上で、わざわざ「落選する為に」(とは説明文にはありませんでしたが、多分それは予想していたことではないかと思います)作品を搬入し、その落選通知と合わせて展示することによって、「表現とは何ぞや?」という問題提起をしたのではないかと思います。

表現活動は活動する人それぞれの信念に基づいて行われることが第一だと思います。しかし、人が集まると、最初に求めていた「表現」ではなく組織の論理が優先され、結果「習い事」の延長線上にならないか?そんなことを改めて感じた展覧会でした。

岩崎 秀太