教えるって…
前の記事<「絵を教える」という違和感>は、けっして技術や知識を否定
するものではない。当然、何かを作り上げるには感性だけでなく、しっか
りとした技術や知識が必要だし、専門家と素人の差はそこに一番現れる。
ただ安易にそれらを教えることが、かえって成長を阻害する気がするのだ。
例えば遠近法。2点透視図法の知識があれば、それなりに立体感や空間の
ある絵を描くことができる。そういった知識がなくても、「目のいい」人
間がよく観て、よく考えて描いた絵はリアリティーを持って見る側に迫っ
てくる。それには知識で描いた絵は太刀打ちできない。
だから、まずモチーフを観察することからはじめて、目と頭と手が十分に
連携を持つところまで訓練して、その上で知識の裏付けを与えるのが正し
いと思う。ただ、成果を急ぐあまり学生側がすぐに方法論を知りたがった
り、講師側が教えたがる傾向がある。それでは本末転倒だ。
作品づくりの本当の面白さ、楽しさは、「自分で考えて自分でつくる」と
いうところにある。故に「描き方を習う」というスタンスでは、本質から
どんどん離れていってしまう。僕たちの仕事は、ここに気づかせるという
ことだろうか。それが「教える」ということになるのだろう。
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