「オシムの言葉」集英社インターナショナル・2
アートには直接関係ないかもしれませんが、何となく「教育」という方向性ではこのブログの趣旨に合致しているかもしれない、7日に読んだ本の話。その2
「旧ユーゴ代表の最後の監督」
ストイコビッチを始め、キラ星のようなスター選手を数多く抱えた代表チームをまとめるには、監督としてとてつもない能力と努力が必要とされることは容易に想像できます。ただ、普通に考えればあくまでも「スポーツ」の監督。競技に対する知識と経験、洞察力があれば良いのではと考えたのは、平和ボケの日本人・・僕でした。
多民族国家だった旧ユーゴでは、平時ですら代表選出にあたって民族間の平衡を念頭に置かざるを得なかったといいます。しかも、91年のスロベニアとクロアチアの独立宣言以降、崩壊へとひた走るユーゴ連邦。国の中で血を血で洗う民族紛争が起こっているときの、そして国自体が憎しみの中で分裂しようとしているときの、代表チームをまとめることの困難さは、生半可なものではなかったでしょう。ある選手はオシムに「自分を代表に選出しないでくれ」と泣きながら頼んだといいます。「もし選ばれれば、同胞が自分の村に爆弾を落とす」というのです。このような状況の中で、EURO92の優勝候補とよばれたユーゴ代表は、櫛の歯が一つずつかけていくように、優秀な選手を失っていきました。
そして、ついには故郷のサラエボをユーゴスラビア軍が包囲。包囲軍は代表と平行して指揮を執っていたレッドスターの母体でもあります。ここにいたり、ついにオシムは代表とクラブの監督職を辞任することになります。理由は「サラエボのために唯一自分の出来ること」。このときサラエボには妻と娘が取り残されていて、この後2年以上に渡って逢うことができませんでした。その上、EURO92へ出場すべくスウェーデンに向かった代表チームには、国連の決定による出場権剥奪という惨い通達が待っていました。
オシムはこの後も様々な国のクラブチームで指揮を執り、素晴らしい実績を残していきます。詳細は本書にあたってもらえればと思います。読了して感じたのは、Jリーグの監督から、そして世界中のサッカー関係者から尊敬を集めるその頭脳と存在感は、サッカーの知識や実績だけでなく、このような困難をプロの監督として、そして何よりも一人の人間として乗り切ってきた経験に裏打ちされたものだと言うことです。「この人には、生半可なことでは勝てない」同じ空気の中にいれば否が応でもそう感じさせるものがあるのでしょう。
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